無理に自分を好きにならなくても、あなたはそのままで良い~ エックハルト・トールの言葉から

スピリチュアルなヒント

エックハルト・トールの本「超シンプルなさとり方 徳間書店刊」の読後の気づきを書いてみたいと思います。

エックハルト・トールは「Watkins’ Spiritual 100 List 」という有名なイギリスのサイトで何年も5位以内に入っている大変有名な方です。

ちなみにサイトの運営者であるワトキンスというのは書店名で、特にスピリチュアル、心理学、哲学、エソテリック(神秘学)に関する書籍を扱っているところです。

1893年に設立されて以来、世界中の求道者やその分野に興味を持つ人々に愛され、現在では雑誌の発行やイベントの主催も行い、スピリチュアルに関連する様々な情報源としても非常に価値ある場所だとされているようです。

スピリチュアル系の分野に強い影響を持つ100人の順位付けには明確な基準が設けられており、毎年発表されています。過去の内容も閲覧することが可能です。この名称でググれば出てきます。

エックハルト・トールの本を読むと、数多くの自己啓発本やスピリチュアル本よりもはるかに深いことが書かれていて、気づかされることが本当に多いです。彼の経歴などについてはネットで調べて頂くとすぐに出てきますのでそちらで参照なさってください。

彼の主な思想の核は、過去も未来もすべて「今ここにある」。体感を感じる瞑想などを通じて「プレゼンス(今)」に意識を集中させることで心にスペースができ。「大いなる存在」とつながる。それによって思い込みや幻想を手放し、「大いなる存在」との魂での深いつながりによって癒され、深い心の静穏を得る、というものです。

自己啓発の世界では「自分を好きになるべき」ということが良く書かれています。
そうでなくて悩んでいる人も大勢いらっしゃることでしょう。
かくいう私も努力してもなかなか自分が好きになれずにずっと悩んでいた一人です。

そんなあるときネットに、「自分を無理に好きにならなくとも、「好きでも嫌いでもない」ので良い、と書かれた記事がありました。何となく心が軽くなって、その時の私にはちょっとした救いの言葉でした。

ではエックハルト・トールの本には何と書いてあるでしょうか。


『わたしたちは、「自分自身との関係」を築く必要はありません。
シンプルに、「自分自身のまま」でいればいいのです。

自分自身と関係を結ぶと、自分を「わたしとわたし自身」、または「主体と客体」というふたつに分裂させてしまいます。

思考が作るこの二元性が、無駄な混乱、問題、衝突を生む、温床なのです。

さとりを開いたひとにとって、「自分」と「自分自身」はイコールであり、そのふたりは溶け合っています。

自分は、自分自身に対して、決めつけをしません。

自分自身を、哀れんだりしません。

自分自身を、誇りに思ったりしません。

自分自身を、愛したりしません。

保護し、防衛し、養わなくてはならない「自分自身」は存在しません。

あなたがさとりをひらいているならば「わたしとわたし自身」という、余計な関係を築く必要はなくなります。

それを手放すと、すべての関係は、ある「ひとつの関係」に変わります。
それは「愛の関係」です。』(’人生が楽になる超シンプルなさとり方’第7章より)

——————————————————————-

「愛 喜び 平安」は通常言われる人の感情から来るものではない、とトールは言います。
これらは「大いなる存在」からやってくるものである、と。

お釈迦様やイエス様、そして神様は自分自身のことを「好き」でしょうか。
たぶんどちらでもないのではないかと想像します。
(他の人と接したときには愛があふれてくるのだと思いますが)

自分が好きでなければ、ダメなのかな?とそう思ってしまいますよね。
だぶんどちらでも無い、が正解ではないかと思います。

過去に自分が嫌いだと思ったとしても、現在そうであるかどうかは別です。
今はそうでないとしても、自分で決めつけているだけかもしれない。
嫌いという意識がなかったらそれでOKです。

そして嫌いであったとしても、「今」に意識を集中するトレーニングを積んで、その感情を見つめて「観察」しましょう。(すぐできるわけではないので日常の習慣にできるのが良いですね)
そうして観察してゆくうちに「ペインボディ」は癒され、それに振り回されることはなくなり
「大いなる存在」とつながり、「愛、喜び、平安」という、深奥からのエネルギーに満たされる。

まだ読んだことの無いかたには必ず気づきがあると思います。
一生を通じて何度も読む価値のある本です。

彼の愛や優しさ、心の静けさ本物のさとりの感覚が文章のいたるところに、細部に溢れていますので、ぜひ本をご一読下さい。

タイトルとURLをコピーしました