名無き光(ザ・ネームレスライト)と「老子」タオとに共通する世界観

アゼツライト

アゼツライトの「名無き光 ザ・ネームレスライト」

‘名無き光’――この言葉は、スピリチュアルな‘光’、それはあらゆる銀河の中心であり、私たちのハートのセンターの燦然たる輝き、すべての‘光’原子は暗闇の中にですら存在し、すべての存在物を超越したすべての名前の前にあり、世界の成り立ちの外にある聖なる沈黙とともにあるものであるという事実に基づくものです。このヴァイブレーションが私達の存在を貫くとき、私達は‘すべてはそれである’ところに居るのです。

これはロバート・シモンズ氏による、アゼツライトのエネルギー‘名無き光’に関する言葉です。これはすべてのアゼツライトに共通する根本的なエネルギーの説明として、私はこの文章は大切なものだと解釈しています。

「老子」の冒頭を読むと、これと大変良く似た概念が登場します。このたびのテーマはそれらの類似点についてお話ししたいと思います。

「老子」の世界観
以下は加島祥三氏の翻訳による「老子」の第一章です。

「これがタオだと名付けたってそれは本物のタオじゃないんだ。

なぜって、それをタオだと言ったり名付けたりするずっと以前から、

名の無いタオの領域が遥かに広がっていたんだ。

 

まず初めに、名のない領域があった。

その名のない領域から天と地が生まれ、

天と地の間から数知れぬ名前が生まれた。

だから天と地は名のある全てのものの母といえる。

 

ところで名のあるものには欲がくっつく。

そして欲がくっつけば物の表面しか見えない。

無欲になって初めて真のリアリティが見えてくる。

 

名のある領域と名のない領域は同じ源から出ている。

名があるとないの違いがあるだけなんだ。

名のある領域の向こうに

名のない領域が遥かに広がっている。

明と暗の混ざり合った領域が、

その向こうにも遥かに広がっている。

その向こうにも、入口には衆妙の門が立っている。

森羅万象あらゆるものの、くぐる門だ。

この神秘の門をくぐるとき、

人は本物のライフフォースに繋がるのだ。」

名無き光と「老子」の共通の世界観

いかがでしょうか?「名無き光」の感じと、「タオ」って似ていると思いませんか?
老子が述べる「道」は、名づけられない永遠の根源であり、万物の生成の基とされている。この「名無き光」という表現は、そのような普遍的で根源的な存在やエネルギーを連想させるため、老子の「言葉では表現できない究極の真理」に非常に近い概念だと言えるでしょう。

老子は、この道を「形にないものでありながら、万物を生み出す」と述べており、シモンズ氏の記述する「名無き光」もまた、すべての存在とエネルギーの源泉としての役割を持っているように感じられます。これは、スピリチュアルな文脈でよく言及される「ワンネス」や「究極の実体」という概念に通じるものがあると考えられます。

さらに、この「名無き光」が「すべての存在物を超越している」という点も、「道」が常に存在し、形態や名前にとらわれないという老子の教えと符合します。スピリチュアルな探求においては、このような比喩や象徴を用いて、言語では完全には捉えきれないような深い真実に迫ろうとする試みであると感じます。

シモンズ氏がご自身が得た認識をそのまま言葉にされたのか、それとももともと老子を学ばれていて、それとの関連を深く感じられたのかは不明です。いずれにしても根源的な存在のエネルギーが感じられ、それが私たちに直接働きかけるものとして、霊的存在アゼズによってプログラミングされた石、アゼツライトを深く認識したということは間違いのない事実ではないでしょうか。

私たちはアゼツライトという石とどう関わるのが良いのか

シモンズ氏が念を押されていたことがもうひとつあります。
それはアゼツライトの扱いについてです。彼は「敬意をもって接して欲しい」と語っていました。彼は、「アゼツライトに触れる行為は、天使に触れることと同じである」とも言及していました。そうした敬意をもって接することが、本来のアゼツライトのエネルギーを引き出す最善の方法であると私は思っています。アゼツライトであるかないかに関わらず、すべてのパワーストーンは同じように敬意を持って接してこそ、そのエネルギー的真価を発揮できるものと私は考えています。

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